言葉に色をつけるなら

フィクション、たまにノンフィクション。

14歳くらいまで、人と人というのは、こう、何があっても絶対に分かり合えるのだと、信じてやまなかった。

しかし、何がきっかけだったのかは思い出せないが、ある日それは理想であり幻想に過ぎないのだということを知り、酷く絶望した。

今もまだ14歳の片鱗は私の中にあって、「きっといつかは」と思ってしまうことが多々ある。

悲しいかな、そんなの、きっと幻想だと知ってしまったはずなのに。

どんなに信じ愛している人たちだって、結局みんな他人なのだから。というか、皆が皆、各々の幻想を抱き続けてたら、それこそ価値観の押し付け合いになってしまうだろうし。

たまにこんなことを考えてしまうときには、人は皆、孤独の中で生きているんだなと気づく。

分かり合うことにこだわる少女だった私は、きっと孤独が怖かった。今もまだ少し怖いのかな、とも思う。

ただ、一人になりたい日だって私にもあって、完全に外界を遮断したくなる。少しでも立ち入ろうとするものならば、声を荒げて拒否してしまう。それが誰であろうと。

月白色の孤独は、酷く悲しいように見えるけれど、その正体は自分自身にしか分からない安心感でもあり、孤独と安心感は表裏一体なんじゃないか、と。違うような気もするけれど。

一人になりたくない夜、一人になりたい夜、この二つを幾度と繰り返しても答えには辿り着けない。