言葉に色をつけるなら

フィクション、たまにノンフィクション。

※これは宮下奈都氏の著書「羊と鋼の森」を読んで私が感じたことの記録。作品そのものの講評ではない、悪しからず。


羊と鋼の森」を読んで、本当に色んなことを考え直す良い機会になった。


読了直後に私の中に芽生えた"決意"とか、"目標"とか、全部全部このブログに書こうと思ったのに、うまく言語化できない。


悔しい。


私の中にはまだまだ言葉にできない感情が沢山ある気がする。上手く伝えたいのに、叶わない。ただただ悔しい。


…いや、やっぱり下手くそなりに感じたことを書こうと思う。


これは本当にただ、私の本を読んでの感想…というか、「この本を読んだことで、私はこうやって背中を押された」っていうただの記録。本当にただの日記。公開するほどのものでもない。稚拙すぎるかもしれない。ごめんなさい。


主人公・外村。

新人調律師。山で育った平凡な青年、才能も特にないだろう、ただ感性は豊かだろうし、努力の気持ちは人一倍ある。


劣等感を糧に成長していく彼の姿に、シンプルに感動した。


ここ最近の私は劣等感を糧にするどころか、周りと自分を比べては落ち込み、そのまま海の奥深くに沈んでいくみたいな生活を送っていた。


本当に、このままじゃよくないなと思っていたのだが(当たり前である)、なかなかこの感じから抜け出せなくて。


でも、「羊と鋼の森」を読んで、今まで「私は他の誰よりも劣ってる」と思っていたのが、「新人って、こんなものかもしれない」と、なんだか心がスッキリした。


誰しもが、悩みながら、壁にぶつかり、そのたびに挑戦を繰り返し、乗り越え、いや、時にその壁を乗り越えられなかったりもするだろう。


人生って、そんな繰り返しなんだと思う。


この作品に出てくる全ての人間が、悩んでる。もがいてる。乗り越えてる。


今の私に足りないのは「謙虚さ」と「努力」。


もっともっとひたむきに、劣等感を糧に、頑張れる人間になりたい。


羊と鋼の森」は私の背中を押してくれたと言っても、過言ではない。

14歳くらいまで、人と人というのは、こう、何があっても絶対に分かり合えるのだと、信じてやまなかった。

しかし、何がきっかけだったのかは思い出せないが、ある日それは理想であり幻想に過ぎないのだということを知り、酷く絶望した。

今もまだ14歳の片鱗は私の中にあって、「きっといつかは」と思ってしまうことが多々ある。

悲しいかな、そんなの、きっと幻想だと知ってしまったはずなのに。

どんなに信じ愛している人たちだって、結局みんな他人なのだから。というか、皆が皆、各々の幻想を抱き続けてたら、それこそ価値観の押し付け合いになってしまうだろうし。

たまにこんなことを考えてしまうときには、人は皆、孤独の中で生きているんだなと気づく。

分かり合うことにこだわる少女だった私は、きっと孤独が怖かった。今もまだ少し怖いのかな、とも思う。

ただ、一人になりたい日だって私にもあって、完全に外界を遮断したくなる。少しでも立ち入ろうとするものならば、声を荒げて拒否してしまう。それが誰であろうと。

月白色の孤独は、酷く悲しいように見えるけれど、その正体は自分自身にしか分からない安心感でもあり、孤独と安心感は表裏一体なんじゃないか、と。違うような気もするけれど。

一人になりたくない夜、一人になりたい夜、この二つを幾度と繰り返しても答えには辿り着けない。

青藍の夜空に浮かぶ色とりどりの花を、今年の夏は見れそうにない。

きっと周囲の人は現在進行形である私の意中の人の話を聞きたがるだろうが、
(まぁ、頼まれなくても話す性なので、もう聞き飽きている人がいる可能性も大いにあるが。)
今日のお昼にふと思い出したのは、16歳の恋だった。
私が初めて男性と二人きりで出掛けた、その日のことを思い出したのだ。

その彼は1歳年上だった。
いま思えば、あまり魅力的な人ではなかったかもなあ。
当時17歳の彼は、いわゆる"厨二病"からまだまだ抜け出せていない、少し斜に構えた男子高校生だった。
24歳の私からしてみれば「何が良かったんだろうなあ」と苦笑してしまうのだけれど、16歳の私にとって、彼は"好きな先輩"だった。

8月の中旬だったと思う。
私は「先輩、花火見に行きませんか?」と積極的に彼を誘った。こういう性格はいまだ変わっていないと思う。

なんで無事二人で見に行くことになったのかとか、その辺りはあまりよく覚えていないけれど、周りの先輩が協力してくれたような気がする。まぁ、それも、面白がってやられてたのが後々分かったのだけれど。

当日、私は川崎駅から東海道線に乗った。先輩は横浜から乗ってくることになっていて、「3号車の、進行方向から数えて、先頭の扉の近くにいて」とかなんとか言われた。
かなりの鉄道オタクだったのだが、本当に彼らしい待ち合わせの仕方だったなあと思う。

浴衣可愛いねって言われたこと、くだらない会話をしたこと、その辺りはなんとなく覚えているけど、花火がどんなだったかとかは正直よく覚えていない。

いや、覚えていないというより、あまり思い出したくないのかもしれない。

私たちはただただ曖昧な終わり方をしてしまって、彼は私にとって"好きな先輩"から"嫌いな人"になってしまった。

まだまだ幼かったなあと今でこそ思えるが、当時の私にとってはそれが全てだったので、かなり腹が立ったし悲しかった。

そんな懐かしい思い出を、急に思い出したので、書いてみただけである。
別にこの話にはなんの面白みもオチもない。

本当に私はいつになっても変わらないなと我ながら思う。
ただ一つ違うのは、大人になった今の私には、花火に関して良い思い出がある、ということだろう。